本日は屋根を防水まで撤去し明日からの断熱工事に向けて準備しました。野地板の隙間から光が小屋裏に差し込み小屋の中がよく見えるようになります。
屋根を一度全て葺き替えているので、屋根板金の下にはルーフィングが二種類残されていました。下に見える黒い防水紙が50年前のもの。その上に貼られた緑色のものは現在のものとほぼ同じなので、ここ20年くらいのものだと思います。
こちらは煙突。ブロック造で痛みが進んでいたので外周部を固定し、モルタルを流し込んで固定してから鉄板で覆います。
こちらは地下の軽量鋼製梁に気流止めを施したところ。こんな風に解体で生じた材料を上手に再利用し気密が少しでも上がるように下準備しておきます。
梁の間にきつめにGWを充填し天井に使われていたXPSを挽き割って底蓋にしました。この上から吹付ウレタンでさらに断熱を行います。
野地板の隙間から射す光で小屋組みの中には棟札が納められているのが見えました。それによれば当時の施工は石井建設株式会社。棟梁は館下忠之進とあります。
館下姓ということはきっと岩手か宮城の出身かもしれません。北海道には東北出身の大工さんが多いですからきっと棟梁もそうだったのかもしれません。
ところで館下棟梁は50年後に自分の名前を呼ばれるなんて想像したでしょうか、古い建物を解体し当時の作り手の技や考えを知ることはとても勉強になります。時を越えて当時の考えの何が正解でなにが誤りだったのかを知ることができるのですから。
当時の天井断熱は50mmの黄色いグラスウールマットを敷いただけ。恐らくその後、住まい手が寒さに耐えきれずにピンク色のグラスウールを追加したことが分かります。
繊維系断熱材は材料の間に隙間なく充填し、室内側の湿気を遮断しないと能力を発揮しません。きっと当時は布団をイメージして、天井板の裏に掛けるイメージだったのだろうと思います。
文字通り梁と梁の間に掛けられたようにそっと置かれたグラスウールです。入れ方も入れやすい所だけ入れればよい。という感覚に見えます。
屋根の上からは新緑に覆われた山並みが望めます。
一方、石狩湾の対岸には遠く浄水場が見えます。
大工さんが屋根を解体しているのを興味津々で眺める未来の大工さんたち。軒先が切り取られると、「やったー」パチパチパチと盛大な拍手。(笑)
明日のお散歩も楽しみにしててね〜毎日頑張るから!(笑)
うーん今日はユーミンだね〜海のそばだからかな(笑)