2019年7月17日水曜日

桂岡の家 お引渡し


7/15(木)は「桂岡の家」のお引渡しでした。丸三ホクシン建設の首藤社長、Z所長、私と住まい手さんご夫妻の5人でテーブルを囲み、お引渡し書類の確認、取り扱い説明、残工事の確認、設計図書の納品等々を行いました。
 
想えば奥様からメールをいただき最初に桂岡の家に伺ったのが2018年の4月22日。まだ寒さの残る明るい曇りの日でした。お宅の第一印象はペチカのある大きくて立派な家です。
 
きっと当時、街から設計者を頼んで図面を引いたであろう内装や、住まい手がそれほどこの家での暮らしを愛していた様子が伺えました。特にペチカは家の中心に構造の一部として据えられ、それを囲むように田の字の間取りが作られています。それまでの日本の家と異なり冬になると納戸からストーブや火鉢を引っ張り出して来て置くのではなく、最初から建築の一部として暖房設備が設えられた本物の北国の住まい。
 
上棟式は発見された棟札によれば1970年の8月3日とのことですから、50年前の大阪万博の年にこの家を考えた住まい手さんや設計者はいったいどんな人たちだったのだろう?と空想しました。
 
その一方で寒さにずっと悩まされて来たこと、夫婦で引き継いで暮らそうにも寒さと光熱費の不安を除く必要があること、色々と将来を考えて札幌の街中から小樽への転居を決めたこと、奥様にとっては、たとえ古くとも楽しい幼少時代を過ごした大好きな祖父の家であること等々・・・
 
いつものようにお話しをお聞きしている内になんだかやる気が湧いてきたのでした。
 

 
「寒い家を暖かくなおす」
言葉にすればたった1秒で終わりですが、これを実現するとなると建物の根幹から手を入れねばなりません。
 
かつての北海道では部分断熱リフォームが大流行しました。飛び込みで営業する業者も多く、当時の寒い家の多くが、玄関には後付けの風除室を取り付け、予算に余裕のある人は居間の掃き出し窓の外にサンルームを増設し冬は暖か夏は居間空間が広がりますよ~なーんて怪しげな口コミもよく聞いたものです。
 
その後も効果の薄いこうした後付けの部分断熱リフォームはエスカレートし続け、内窓を断熱性の高いプラストサッシに交換、結露防止のウレタンを裏打ちしたサイディングを断熱サイディング?と称して風除室とセットで販売、設備業者が絡めばこれに水廻りとFF式石油ストーブが加わり、内装業者が加われば内装一式が付いて来るといった具合に・・・工務店と設計者が新築ばかりにかまけている間にりフォームといえば怪しげな印象が深まってしまったのでした。
 
今でこそ断熱は部分的に直すことが最も困難であることは地域の共有することとなりましたが残念ながら当時は誰も気付かなかったのです。
 
「桂岡の家」も風除室が後付けされ和室の障子はプラストサッシに交換されていました。実はこの部分断熱リフォームは原因を直さないことが前提のいわゆる対症療法ですから、いつまでやっても目覚ましい効果は上がりません。確かに工事費は少額かもしれませんがずっとお金が掛かり続ける構造が住まい手に長期に渡り負担を強いるのです。
 
話しを戻しますが、こうした対症療法を重ねてきた「桂岡の家」を直すには本来あるべき断熱構造を耐震補強と同時に新たに作り出す必要があったのです。自分に求められているのがもはや、痛みの緩和なんかではなく根本的な解決であることはその場の空気で伝わったからです。
 
 
 
こんな感じで、今までお世話になってきた丸三ホクシン建設さんを頼み、住まい手さんにも数々のご無理をお願いして計画は走り出したのでした。
 
写真は改修前の姿・・・ほんの一年前なのに凄く昔に感じます。
 
今日は工事写真を整理しながら当時を想い出しています。
ジョンレノン・・やっぱいいですよね~ https://www.youtube.com/watch?v=YkgkThdzX-8