2016年1月29日金曜日
三重県からお客様が
昨日は三重県よりたくさんのみなさんが「澄川の家」の視察にお見えになりました。二年ほど前にお会いした建築家のTさんを団長に、いつも家づくりを共にされている、工務店さん、大工さん、建具屋さん、サッシ屋さんがたいへん熱心にお話しを聞いてくださいました。なにか近々、高断熱住宅にチャレンジされるそうで、そのための技術情報の収集に腐心されているとのこと、「その節にはぜひ北海道のアイディアもお役立て下さい。」とお伝えしました。
最近、関西からの視察が急増してびっくりしています。こちらが恥ずかしくなるぐらいみなさん真剣で立派な方々ばかりです。丁寧にメモを取り、写真を何枚も撮り、理解できるまでもの凄くたくさんの質問をいただきます。 パッシブ換気に基礎断熱、床下暖房に0勾配屋根、C値0.1の室内でも薪ストーブが何事もなかったように燃える様子や内外温度差を動力に無音で全館空調を行うパッシブ換気等々・・・・・時間はいくらあっても足りません。(笑)
熱心なみなさんとお会いして、私もうかうかしているとすぐに追い抜かされてしまうなあ~と感じました。そんな意味でも毎回、凄くよい刺激をいただいています。惜しげもなく知見を与えてくれた先輩たちと環境技術に溢れた地元に感謝してまた頑張ろうという気持ちになりました。
平和の家見学会 満員御礼!
二日間に渡り、多くのみなさまにご来場いただきまして誠にありがとうございます。
当日は遠方から駆けつけていただいた方々、お手伝いいただいたみなさま、チーム「平和」全員と、快く地域のものづくりを公開し発信する場を与えていただいた建て主さまに、この場をお借りしてチーム一同心より御礼申し上げます。 300mm断熱18棟目となった「平和の家」。細部の作りこみやパッシブ換気、床下暖房や玄関土間等々も完成度に一段と磨きがかかり意匠デザインのみならず設備設計においてもチーム全員の更なる自信になりました。
地域において長年に渡る知恵の蓄積とその伝承とは想えば凄いもので、寒さとそれらに起因して起こるネガティブな事柄のほとんどが今や何事もなく解決され、静寂の中で計画換気され家全体が穏やかに暖房される様子はある種の不思議ささえ感じます。
1950年代の断熱ブロック住宅に始まりオイルショックが起こった1970年代に壁250mm、屋根400mmの超断熱住宅を作り、断熱がそれまでの建築における多くの問題を簡単に解決する方法であることを発見した荒谷(アラタニ)博士から数えて自分たちは3代目に当たります。時々先輩たちから昔話しを聞くことがありますが、当時は遮熱派の先生方、通風換気派の先生方、蒸散メカニズムの権威、温暖地の伝統建築の先生方の中で「断熱しましょう!」なんて言うのはとても勇気のいることだったそうです。 (笑) あれから早40年、やっと日本も断熱を義務化しようとしています。そんな風に考えるとなんだかとても不思議な気分になります。人は一見理屈で分ったような気分になっても、それが身に付くまでにはとても長い時間が必要で、だからこそ一歩、一歩が実は大切なのだとあらためて思います。そんな意味でも私たちの世代で大切な宝物を失わないように、日々精進して行こうと思いました。
居間の一カット。天井高は2.66m
ナラの端材を用いた木ブロックの壁
玄関を開けたところ。右手前がウオークインのコート掛け、隣が大容量の靴入れ、突き当りが冷温庫。玄関土間はこれらをつないでいる。
白樺積層合板を削り出した手摺。
北方型住宅の基準を満たすために巾を狭められた鉄骨の手摺。
樺材のフロアー、白樺積層合板の枠、旭川家具のガラリの組み合わせ
二階のホール。南側には子供室3室と主寝室。計4部屋が並ぶ。
下が4畳、上が2.5畳の明るい子供部屋。二階には読書灯やコンセントの設備もある。
北西側の和室。障子の上下には通気スリットが入れられていてサッシの結露を防止する。
二階のトイレと洗面スペース。朝の大渋滞もこれで解決。
床下は基礎断熱により室内化され、暖房、照明、換気といった通常の部屋と変わらぬ環境を備える。パッシブ換気の予熱空間や床下暖房、それ以外の部分はトランクルームとして大活躍する。
パッシブ換気の外気導入管。冬場に必用な計画換気と暖房の熱移送を自然エネルギーで行う。
壁の断面模型
日差しがあれば基本的に暖房はOFF
断熱ブラインドは夜も昼も大活躍
今日はB.Joelなんていかが
登録:
投稿 (Atom)