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札幌市, 北海道, Japan
はじめまして。 北海道、札幌市で設計事務所をしています。 暮らしに最も近いものづくり「建築設計」 地域色豊かで環境的、使いやすくて長持。 そんな暮らしのデザインが大好きです。 社会の悩みを建築デザインのテーマにすると面白い! そんなことを考えながら今日もスケッチしています。建築(暮らし)のお話しあれやこれ... どうぞお楽しみ下さい。

2009年9月21日月曜日

ドイツのEco


今日は数年前に行ったドイツのお話し。
今後、先進国である以上避けて通れないのが、「環境」というキーワード。残念ながら日本は個々の環境技術は世界一なのに、社会全体の目線で見ると世界に大きく水をあけられている状況です。日本と比べて最も大きな違いを感じたのは、「環境」といったときに日本ではすぐに経済や社会保障や雇用制度等と同列に論じられるのに対して、ドイツは「環境的」な「経済、社会保障、雇用etc....」という表現であらゆる物事の最初にまず「環境」を付けてそれぞれを捉える点でした。したがってよく耳にするような「環境か経済か?」といった図式の議論が非常に少なくて、あえて言うならば大切だと思われる全てのことは環境的な視点を持たねばならないと、既に国民全体が意識を切り替えているように感じました。丁度それまでの「コスト」のようにそれぞれ分野が違っても、行なう以上は掛かるものといった感じでしょうか。しかし「環境」と「コスト」と言った時にまだ日本では「理想」と「現実」のような響きを感じてしまいます。しかしドイツ人の話を聞いているとむしろ反対で従来の「コスト」中心の発想に「環境」を加えることで、真の「コスト」が分かるというのです。ムムッ??その心は???
たとえば電気は私たちの生活に欠かせないものです。これは100年後も200年後もおそらく変わらないでしょう。ならばこうしたエネルギーを石炭や石油、ウランといった外国の資源に依存しないで暮らせる社会にさっさと切り替えた方がコスト的に得じゃないの?ふんふん。そんな大事業を先進国に先駆けて実践しノウハウを確立したならば、そのノウハウには一体いくらの価値が付くと思う?なーるほど。
なんとシンプルで当然のお考え。日本ってやっぱりいろんな、中くらいの問題の陰に大きな問題を見逃しているような気がするのは私だけでしょうか?最近よく「山本さんは環境系だから~」なんて言われます。反面それは「デザイン系ではないよね~」と言われているようにも感じます。やっぱり「環境」と「デザイン」を同列に論じて比較するところから議論が始まるようです。でも両者を比較して「どっちが大切?」なんて考えること自体、なんだか時代遅れだと思いませんか?環境とデザインは比べるものじゃなくて両立させるものだと思うのですが。(笑)

古い建物の屋根架け替え工事。外断熱は当たり前、しかしこの厚さは尋常ではない。ドイツでは現在エネルギーパスという制度が普及している。簡単に説明すると建築を含む全ての製品にエネルギー消費量の表示を義務付けるというもの。不動産の場合は、古い建物でもこの数字が高ければ市場価値が高く、税金が安くなる等の優遇政策のメニューも充実している。「省燃費=高い環境性」という新たな価値観を国が示し、どうすれば古い建物でも壊さずに価値の持続や再生が可能か?という問題に一つの答えを出している。日本の場合、ここが圧倒的に弱く、古い建物の市場価値は限りなく0に近く、新築並みの大金を投じてそれを直したところで、税の優遇はおろか評価もしない場合が多い。結果、新築の方が安いといった、目先の工事費のみでコストを論じることになり、いつまでたってもスクラップ&ビルドの悪循環から抜けられない。このブログで紹介している「西岡の家」は同規模の住宅の僅か半分の工期で、ほぼ新築と同等の性能に再生できる。環境負荷は遥かに小さく、寿命は少なく見積もっても今後40年以上は楽に使用できる。既に32年を経過しているのだから、70年以上住まいとしてお役に立てることになる。考えて見てほしい、今私たちの身の回りに70年以上ゴミにならずに使えるものがどのくらいあるだろう?きっと日本なら建物はおろか街自体が別の世界に様変わりしてしまう年月だろう。
古い街を残すということは、工事費的には、割に合わないかもしれないが、次の世代に引き継ぐローンや金利、維持管理や最終処分のコストと捉えるとむしろ大きな可能性を秘めていることに気付いてほしい。


現場にタワークレーンが常備されることの多いドイツでは、かなりの建築部品が組み上げられたまま上空に運び上げられる。


ドイツの国会議事堂、上に見えるドームはイギリスの建築家:ノーマンフォスターの設計、自然光を議場に落とし、大幅に照明コストを減らすとともに、ドーム上部から旅行者は会議の様子を見学できる仕組み。議場見学の列に並ぶ多くの人が見える。



建物の外皮を二重、三重に覆い、主に太陽光の取得や換気計画を「隠す」(意匠的に)のでは なくむしろ建物の新たなデザイン要素として取り込む点に注目してほしい。単なる四画いシンプルモダーンではなく、呼吸する建築とでも表現できそうな、可変性の高いファサード。(建物の主な外見)


CDU:(ツェー.デー.ウー)ドイツキリスト教民主同盟、メルケル首相の所属する党の建物。屋根にまで大胆にガラスを用い、建物をすっぽり覆うかたちの提案。ここからは山本の想像だが、おそらくこの二重外皮の意味は、陳情やその他の応対が集中する与党のロビーや待合という「大面積が必要な反面暖房エネルギー的にはそこまで必要のない部屋は極力太陽光でまかないましょう。」それ以外の執務室や職員の詰め所などはしっかり建物の壁と屋根で覆いましょう。ということではないのだろうか?