2009年12月30日水曜日

年末のご挨拶

ブログを読んでいただいた皆様へ
今年から始めたブログも、おかげさまでたくさんのアクセスを頂だいいたしました。新築を超えるリフォームを目指した「西岡の家」、道内の技術と材料で0エネルギーハウスを目指した「銭函の家」、どちらも内覧会にはたくさんの方に来て頂いてほんとうに嬉しく思います。この場をお借りして御礼申し上げます。今回、会場に来ていただいたみなさんの声で印象的だったのは、「道内の工務店でもここまで出来るの?」とか「北海道で杉が取れるの?」とか「ほんとうに全部北海道の技術なの??」といった声が非常に多かったことです。設計者の力量はさておき(笑)、実は北海道の住宅建設の技術水準は非常に高く、附帯する研究や新技術の開発、建材の質においては全国一といっても過言ではありません。住宅建設に携わる全ての方々の名誉のために言うなら、北海道で家が持てるということは建て主にとって実に幸せなことに違いありません。先進国であっても食料の自給率を上げることが大切なように、様々な分野のものづくりの結晶である住宅ももっともっと自給率を上げてほしいと思っています。現在の統計では、建築家に家の設計を依頼する人は全体の3%にも満たない状況ですが、けして諦めることなく北海道の素適な名店、技術、素材をたくさん紹介したいと思っています。そうして北海道といえばまず「旨い食品」ばかりではなく、「住宅デザイン」と全国的に認められるように来年も精一杯努力してまいります。またたくさんの方からお引き合いを頂だいしたことにあらためてお礼申し上げます。今年も例年通り(笑)お休みはほとんど無いと覚悟しておりますが(爆笑)、みなさまのご期待に沿えます様に力一杯、努力する所存です。今年は年末ぎりぎりまで業務が伸び年賀状が元旦に間に合わない方もいてたいへん申し訳なく思っています。どうぞお許し下さい。今日から明日に掛けて道内は荒れるとの予報。皆さま帰省の際は気をつけて。ご家族のみなさまともどもお体ご自愛下さい。それでは良いお年を。一年の感謝を込めて本年最後のブログとさせていただきます。 山本亜耕




2009年12月26日土曜日

銭函の家 内覧会の様子

みなさま年末のお忙しい中、内覧会にお越しくださいまして誠にありがとうございます。この場をお借りいたしまして御礼申し上げます。時節柄、環境的な関心も高いようで本日もたくさんの「へぇえ~」を頂きました。27日(日)も朝10:00より開催しておりますので、ぜひお越し下さい。













2009年12月17日木曜日

銭函の家 完成内覧会のご案内

北海道の技術と材料でつくった0エネルギーハウス、「銭函の家」の内覧会を行ないます。年末のたいへんお忙しい時期とは存じますが、ぜひおさそい合わせの上ご覧いただければ幸いです。公開日は12月の25,26,27(金~日)の三日間。27日には公開による気密測定試験も予定しています。設計者はさておき、環境建築を考える上で、現在北海道で実現可能な技術とノウハウを結集しました。ハイテクECO建築も素適ですが、ぜひローテクの最先端に触れていただければメンバー一同望外の喜びです。建築は地元の「つくる力」のバロメーター。北海道の素適な素材、様々な工夫やアイディア、最新の環境コンセプト、匠の技をぜひご覧下さい。



「北海道のパッシブハウスを作る会2009」メンバー紹介
銭函の家は、通常行なわれているように設計者が仕様を決め、図面を完成させてから各業者に見積もりを取る方法ではなく、目標金額を事前にオープンにし、どうすれば目標性能と価格をクリアできるか?を徹底的に話し合うことにより設計を進めました。コストの専門家や熱性能の専門家、開口部の専門家に材料の専門家、施行の専門家とコラボレーションしながら設計図を進めることで、端から出来ない図面を描く手間を減らし、その分十分な検討を行うことが出来ました。

ゼネラルコンストラクター:㈱橋本川島コーポレーション、建物の生産全般を統括する道内の中堅ゼネコン。旭川市に本社を置き、札幌支店の実績も豊富。公共事業からいち早く住宅事業に進出し道内において様々な仕事を手掛けている。同社のHKハウスは、道内でも珍しい200mm複合断熱が標準仕様。省エネや環境建築に対する意識も非常に高く、北海道が認定する断熱のスペシャリストBIS(断熱士)等の資格者も多く在籍している。㈱丸三ホクシン建設、大工工事を担当する老舗の地元工務店。現在二代目の社長は棟梁であると同時に建築士の資格も持つ。驚いたことに同社の大工はほとんどが正社員として働き現場毎に勉強会を催すなど、こと木の扱いに関しては熟練の技が冴える。また断熱や気密、換気に対する非常に丁寧な仕事は建物の基本性能を支えている。飯田ウッドワークシステム㈱、銭函の家の断熱サッシを担当した道内を代表する木製サッシュメーカー。現在、市販で手に入る最高性能の窓でさえ0エネルギーを達成するには不十分であることが設計当初より悩みの種だった。さりとて外国製を輸入して済ますのはコンセプト上、最後まで避けたかった。そんな時、ほとんど献身的とさえいえる情熱で世界水準のサッシの設計と製造を引き受けてくれたのが同社。壁厚を用いたWスキン玄関ドアやトリプルガラスをフローティングマウントする木製カーテンウオールは同社の長い研究開発の成果といえる。詳しくはhttp://ako-re.blogspot.com/2009/10/blog-post_21.html
㈱物林、道内に多数の自社森林を有する木製建材商社、構造材の選定や仕上げ材、構造計算及び金物、プレカット等を担当。特に長期優良住宅の難関である、構造強度25%UPの要求に関しては、製造と設計一体のシステムがたいへん有効だった。同社の扱う耐震開口フレームも当然ながら第一級の道産製品。(有)タギ建築環境コンサルタント、環境建築を作る上で必要とされる断熱性能、耐結露性状、必要暖房負荷、パッシブ換気等、建築物理分野を担当、従来は断熱材150mmくらいで~などと、理由はさておき単なる経験的な仕様として決めていたものを、目標性能を実現するためにはどの程度が適切か、といった視点から計算と過去の豊富な測定実験結果よりアドバイス。「銭函の家」の壁や屋根の断熱構造の根拠となっている。当人は正真正銘の工学博士。㈱京セラFC札幌、第二期工事で予定されている太陽光パネルを担当。最終的には自ら使うエネルギー以上のエネルギーを太陽光により生み出すことを目指している。山本亜耕建築設計事務所、北海道の先進的な技術で0エネ住宅をつくろうと考えたまではよかったが、調べるうちに現在の北海道の技術標準では難しいことが判明。それは慣れ親しんだ自分の流儀である設計の流れさえ諦めざるを得ないことを意味していた。悩んだ末に設計チームを編成し、各分野の専門家のアドバイスをもとに設計を進める方法を思い付く。0エネルギー住宅を、現在の北海道の技術標準を超えたところで作りなおかつ現実的な価格で納めるためには建築家としての私のキャパシティーでは難しかったからです。設計監理、全体統括といえば聞こえは良いのですが、各分野の専門家の相反する意見を調整し可能な限り両立させて設計の内容を決めてゆく作業は、刺激的であると同時に、コラボレーションの生み出す無限の可能性を感じました。むしろ設計者としてたいへん勉強になると同時に最高のメンバーと仕事が出来てとても感謝しています。(笑)




2009年12月14日月曜日

銭函の家 外付けブラインド工事

本日は、外付けブラインドのお話。3階の窓がほぼ真南に面する銭函の家、日光が入って良い反面、入りすぎると困ることもたくさん出てきます。一つが建物のオーバーヒート。建物をしっかり断熱することで、熱が逃げない分不用意に窓から太陽光を入れると冬でも室内が暑くなりすぎてしまいます。ある一定までの断熱レベルならば、庇の長さで夏季と冬期の日光入射をコントロールできますが、それを超えてさらに断熱を厚くすると、もっと積極的に室外で日射のコントロールが必要になってきます。銭函の家は、北海道で初めて外付けブラインドを取り付けた住宅です。室内から簡単な操作でスラット(羽根)の角度を変えられます。便利なのは夜間カーテンの代用としても使えることです。


3階左半分がブラインドを下ろしたところ、右側が巻き上げた状態。


近くで見ると、まんま室内用のブラインドの拡大強化版です。

スラットは自由に角度調整が可能です。


ほぼ全閉状態。


上方向に角度固定することも可能です。


2009年12月12日土曜日

銭函の家 スケルトン+インフィル

スケルトン(骨格)、インフィル(設備や内装)、この言葉を聞いて、「ナールほど!」にやりとしたあなたは、かなりの設計上級者又は住宅好きとお見受けします。(笑)つい最近まで日本の家作りは時間軸をほとんど意識してきませんでした。長く使うことなど前提にして作っていないばかりか、設計の意味すら分からぬままに毎年たくさんの家が建てられます。その結果、建てる前によく考える(設計する)という習慣が根付かないばかりか非常に希薄にすら感じます。今日は、大切な「時間」に関するお話です。

みなさん、スケルトン(骨格)とインフィル(内装や設備)どっちが長持ちすると思います?住宅寿命が20年くらいだと気にならないこの問いも、50年、100年となると俄然重みを増してきませんか?そう日本の 住宅で今困っていることは、寿命の来た設備(インフィル)の交換なんです。たとえば、ボイラーや配管を交換したいと思っても、床を全部めくるとか機械室を壊さないと設備を入れ替え不能とか。燃焼を行なう設備は10年が一応の使用限度。最近では石油から電気やペレットへ熱源の種類そのものを変えてしまう場合も多いですから、消耗品にあたるこれらの部品を簡単に交換できる工夫が住宅を長く使う上で大切なのです。銭函の家では、屋外の離れに機械室を設けています。大切な配管やボイラー等はこの離れに集中的に配置して、室内を一切触ることなく交換や整備が出来ます。


地下のヘッダーから各所へ行く配管。

各室に配管や配線はしていても、大元のエンジンやバッテリーは外付けといったイメージです。


排水も一端、集中的に床下に集めます。


将来的な引き込み(現在想定しているのは太陽光発電)に対応する予備の空配管。

2009年12月10日木曜日

銭函の家 温熱測定

本日は、銭函の家に温度と湿度の記録装置を取り付けました。工事中から一冬のデーター採りのためです。担当はもちろん建築物理担当のDr.T氏、今や弊社の設計には欠かせない温熱分野の環境コンサルタントです。外部、地下、1階~3階の各所における温度と湿度の移り変わりを記録することは地場の技術を検証し発展させる上でとても大切です。ドイツやスウェーデンの工法で0エネルギー住宅ができる事は今や世界的に広く知られています。しかし銭箱の家のテーマは同様の住宅を地元の技術標準で作ることにあります。ご要望とあれば、世界最高水準を地元の設計者や技術者、部品サプライヤーが、北海道の材料でいつでも供給できること。そりゃ~いいやと思いませんか。

記録機本体:一見 簡単そうに見えますが、本体はかなり高価。コードの先にはセンサーが付いていますが、1年で寿命が来るために毎年交換が必要とのこと。
日光の影響を極力避けて設置します。


2階に設置したところ。


階段室を用いて空気の流れを十分拡散させるために、壁にはお馴染み縦格子を用います。


もちろん外部にも設置しています。

帯広へ

3日前は帯広に出張でした。最近は、インターネットの影響でしょうか、道内のあちこちからいろいろとご相談を頂だいするようになりました。こうしてブログを読んでいただいているみなさんに心よりお礼申し上げます。これからも気軽に相談できる「まちの建築家」としてよりいっそう精進いたしますのでどうぞよろしくお願いいたします。今年は道内各都市を回りましたけど、どの街も住宅といえば大手メーカーが強いようですねぇ~。なぜなんでしょ??中には「値段に応じて間取りははじめから決まっているんじゃ?」なんて方もいて、地元で建築を作る+考える力がどんどん薄れているのを感じます。ブログを通じて訴えてきましたが、そのまちが健康か否かは、地元のものづくりを見れば大体分かります。中でも建築は、たくさんの部品や工程に加え腕の良い職人達や設計者が必要ですから、それらを地元でまかなえるか否かは、まちの産業的健康状態そのものです。せっかくすばらしい材料や優秀な職人達がいながら、大手ブランド崇拝の家作りを続けていると、そうした宝はどんどん街から失われて行きます。後に残るのは、全国どこでも同じような規格品の街並み。話はかわりますが、日本人に根強い人気の観光地はハワイとヨーロッパなんだそうです。前者は南国+楽園+リゾートとして長い伝統をもち、価格もリーズナブルなところ、後者は、街並み、歴史、ものづくり、グルメに代表されるような「暮らし分野の魅力」に溢れているところなんだそうな、でもみなさん考えてみてよ~イタリアやドイツの街並みは観光客の目を意識して作っているんじゃありません。素の暮らしそのものです。ではなぜ魅力的なんでしょうね~??素朴に地元の材料で地元の職人や建築家達が何百年も作り続けただけじゃないですかね~?なんてことを考えているうちに帯広に到着。
「冬の帯広は札幌に比べ晴れの日が多い半面、放射冷却現象で-20℃を下回る日も珍しくない。」と学生時代に習った覚えがありますが、ここ最近は雪が多く暖かい日が多いらしい。温暖化の影響はここ10年くらいほんとうに顕著です。


駅の北口はホテル群が立ち並び非常に都市化された印象です。

こんなところに昭和な匂いを発見。都市のインフラの中でもマンホールや消火栓は味わい深いものが多いです。


住宅街にもけっこう雪が多く、今後は札幌並みに隣地への落雪を配慮した屋根型に変わって行くような気がしました。ちなみに帯広では、フラット型屋根等が圧倒的に多く、札幌圏で一般的なスノーレーンは人気がないとのこと。ところ変わればです。

お昼は、以前から気になっていた帯広名物「中華ちらし」を頂きました。名前からは盛り付けが想像できずに、最初は「ごま油風味のちらし鮨かいな??」と思いましたが、食べて納得!美味しいです。帯広にお出かけの際はぜひ「中華ちらし」をご賞味あれ!しかしまあ建築もこういかないもんですかね~。借り物じゃない地元の味があるってことが大切ですよ~。なんだか観光ブログのようになってしまいましたが、夕方お会いしたクライアントさんはほんとうに素適な方でした。呼んでいただいた事に心より感謝申し上げます。ご家族の皆様にとって素適な家になりますように精一杯お手伝いいたしますのでよろしくお願いいたします。

2009年12月6日日曜日

北海道のデザインって?

地方で暮らす私たちが、今後100年慎ましくも豊かに暮らすためには、きっといくつかのキーワードがあるように思います。1:地場産、2:地産地消、3:地場産業、に見られるような「地」というキーワードも最近ずいぶん耳にしますよね~。食の世界で言えば古くは札幌ラーメン、最近ではスープカレーのようにその地でしか味わえないもの、もちろん東京まで持ってゆくことは出来るけど、「やっぱ北海道で食べたいよね~。」となるような...地元の私たちは見慣れていても、きっと道外から来た人たちにとっては新鮮な驚きがたくさんあることでしょう。食べ物の話から入りましたけど、北海道らしい家や街並みを今日は紹介しますね~。


地元の人もぜひ訪れてほしい、北大のモデルバーン(見本農場)畜舎群、板金の屋根、下見板貼りの外壁、130年前なのに窓には全てガラスが入り、後の北海道の建築の原点的デザイン。道産子なら誰しも心癒される空気感が漂ってはいないでしょうか?

レンガと軟石(札幌軟石→石山通りの石とは軟石の意)に赤い屋根のサイロと畜舎。おなじみ北海道を表すキーワード。


大正~昭和初期の佇まい。屋根は和小屋(和風つくり)、窓は引き違い(和風窓)ながらどこか洋風チックな香りを感じさせる民家。これも道産子なら癒されないでしょうか?



部分的には同じような作りでも、棟飾り(屋根の頂点の飾り)を入れると俄然、和の香りが強くなるのを感じませんか?玄関の屋根は入り母屋造り(純和風)で左側に洋室の出窓が見えます。

こちらは、港小樽の旧家、むくりとそりがついた入り母屋玄関に格式を感じます。こんなふうに見ると、ずいぶん昔の方が味わい深いデザインが多いと思います。最近巷では○○モダン風が大流行ですが、こんな地元のデザインを正常進化させるコンセプトもとても魅力的だと思います。

2009年12月3日木曜日

銭函の家 内装工事その二

銭函の家の内装工事も仕上げ工程に向けて順調です。我らが現場のS棟梁は、親子鷹。そう、お父さんともども毎日現場で頑張っていただいています。先月竣功した西岡の家のS棟梁も同じ親子鷹、おまけにイニシャルも同じです。今年はSさんにとてもおせわになる年です。でもなんだかいいと思いませんか~(笑)、私も将来息子と仕事がしてみたいものです。そのためにも「建築家がそばにいてくれてよかった」と言われるように日々精進したいと思います。さて本日の監理のテーマは「見切りの確認」いつものように一緒にお付き合い下さい。(笑)

見切り:ものとものとがぶつかるところの処理。理想はそうした工夫なしで、硬いものと柔らかいもの、天井と壁のように面として異なるものがすっきり、さも何事もなかったように納まる(出来上がる)ことが理想です。しかし実際には、暖かい質感を持つ手作業の塗り壁と薄い塗り厚のペンキの天井の取り合いとか、壁の珪藻土と床のフローリングの境界とか、見切る工夫を事前にしっかりしておかないと出来栄えに大きく影響してきます。そこでそうした部分をみっちり監理するのです。階段は下塗り状態、段板は、ワックスで木地仕上げとするので、下地の白ペンキがはみ出る事は当然NGです。

アルミの見切りを床と壁の間に用いてアルミの厚さ分を珪藻土塗り壁の塗り厚さの定規(基準)とします。部屋の隅をホウキで掃いたり、掃除機を掛けたりしてもこの僅かに壁より飛び出したアルミがガードになって壁がポロポロ崩れるのを防ぎます。

壁は塗り厚のある珪藻土です。当然天井まで塗り上げると、厚み分僅かに天井を塗ることになります。そこで天井を壁から僅かに(今回は1.2cm)離して(目透かして)納めます。写真はその下地となる材料の取り合いです。1:天井、2:南壁面、3:西壁面の3面が取り合う入り隅(イリズミ)は難しいところです。出来上がりは壁の珪藻土が天井面の中にすーっと吸い込まれるように見えます。

本日の銭函の眺め。空は鉛色、冬の景色の到来です。


壁のボードを打つS棟梁、お父さんは1階担当です。塗り壁の下地ということで、釘が起きない(後から釘頭が飛び出さないように)ように、ボードビスを用いています。釘は打ち込むもの、ビスとはねじ込むものを言います。


本日の外気温は4℃、昼間も冷えます。


床の材料の断面が見えます。上より15mm厚のニレフローリング、24mm厚の構造用合板、道産カラマツ集成材、左に見える金物は構造的に伝統的な継ぎ手、仕口によるものではなくて金物接合であることを示しています。


壁の厚さは、最終的には43cm、開口部は外壁面より室内側に入って納められます。通常は開口部(サッシュ)が外壁面より外に出るいわゆるサッシュ勝ち納めが北海道では一般的です。しかし耐久性や、外観を彫りの深い印象的なイメージにまとめるためにあえて壁勝ち納めといたしました。


北国の木造の外壁構造の特徴は通気層を徹底するところでしょう。冬場室内で発生する湿気は室内から室外に向かいます。そこで室内から見て最外層部に空気の通り道を設け、万が一壁内に湿気がこもっても、逃げ道を作る工夫が必要になります。問題はどこから外気を壁の表層に入れるかですが、今回はこの壁勝ち収めを利用して上の写真のように窓のすぐ上の黒いベンチレーターから安定して空気を導入しています。材料はイーブスベンツ。本来は陸屋根の通気や小屋裏換気に用いる部材ですがそれを応用してすっきりさせました。

室内は、大工さん3人の体温発熱とコンプレッサー、作業灯の発熱量で現在15℃です。この原稿を書いていて気付いたのですが、300mm以上断熱をすると結果的にこのような気温を維持することが可能だとすると、今まで冬期現場の困りごとであった、低温化での仕上げ作業が圧倒的に楽になります。今の時期、通常の断熱の現場の室内は10℃にもなりません。その中でペンキを塗ったり、塗り壁をしたりは、ほんとうにたいへんです。まず乾かないし、品質も安定しません。湿式工法(工法に水を用いるもの。日本の伝統的なものはこれがほとんど。)は、こうして時期を無視した使い方のおかげで乾式といわれる水を用いずに溶剤を主にしたものに置き換わってゆきました。出来上がりの良い建築をお望みならば、春に着工して秋前に完成が理想ですが、断熱の考え方がもう一つ進むと、冬場でも漆喰や塗り壁が安定したよい品質で出来るようになるかもしれません。


冬場、北西の小樽市街方向から吹く風によって東側には大きな雪庇(セッピ)が張り出します。その方向は同時に眼下に広がる畑とその向こうに続く石狩湾を望むことから当初より窓を計画していました。特に暖気で寒さが緩んだ頃、屋根の雪庇が垂直に落下して下の屋根を壊したりすることがままありますよね?そこで子屋根は60度を越える勾配として、レンジフードの排気も軒下に全て隠すことにいたしました。


軒下に二つ穴が見えるのがレンジフードの排気と給気口です。気密住宅の場合は室内の気圧変化を最小限に抑えるためにこうした同時給気排気式のものをお勧めします。まだまだ排気専用タイプが多いですが、調理時に壁の給気口から冷気が流入して寒さを感じたりとあまりお勧めできません。


これくらいの高さが一番怖さを感じますね~。雪庇はこの角度で屋根に当たり滑って地面に落下するというわけです。


この建物のもう一つの心臓部、それは北海道で開発された技術であるパッシブ換気(高気密断熱建物専用自然換気)を改良して用いている点です。写真はその排気口。壁から飛び出さず十分に薄いことを確認します。この方法は、外部の気温や気圧の影響を十分取り去った室内(高断熱気密建物の室内)においては、煙突効果の応用で自然換気できるというものです。従って機械による換気は必要なくなります。(全国の建物がそうではないので、法律では機械換気が義務付けられています。)ほんとうにすばらしい発見だと思いませんか?

この排気口を開発した人も北海道の方です。極力機械に頼ることなく、自然の法則を応用して知らずに快適で燃費の良い暮らしがこれからは求められるとおもっています。本日も最後までお付き合いありがとうございました。

2009年12月1日火曜日

2004年

2004年もそういえば住宅をつくっていました。一つは岩内で、もう一つは札幌の宮の沢で、今見ると懐かしく当時を思い出してしまいます。私は古い街が大好きです。かつての岩内は海運と漁業で栄え、街の繁華街である万代は深夜まで賑わいが絶えることはありませんでした。昭和29年9月26日は青函連絡船の洞爺丸沈没の日として有名ですが、くしくも同じ日に岩内町では3500戸を失う大火に見舞われます。街の中心部は壊滅的な被害を受け歴史ある街並みは一夜にして文字通り灰になったのでした。
しかし被害を免れた建物の中には当時の華やかな様式や海を越えて入ってきた舶来の香りを感じさせるものも少なくありません。明治から大正、昭和初期までは、安価な民家といえど、ひとつひとつ手仕事が当たり前、西洋趣味を気取ってはいても、横長の引き違い窓や、5寸の緩やかな勾配の屋根、横張りした南京下見板や漆喰にモルタルといった左官仕事、その後大いに北海道中に広がった赤と緑のトタン屋根etc...、ちょっとレトロな中にしっかりお醤油の味も忘れない和洋折衷の素適な建物たち。そんな岩内の空気を精一杯大切にしようと、計画に励んだのでした。大火で古い街並みは失われても、札幌に溢れる新興住宅街っぽさは持ち込みたくありませんでした。同時に当時から頻繁に使われ始めたデザイナーズっぽさも嫌でした。歴史ある街に建てるにはどちらもあまりにも失礼な気がしたからです。さんざん考えた末に大正や昭和のフレーバーを再解釈して現代的にアレンジすることにしました。写真は、雨上がりに足場を外した直後。ちょっと懐かしい感じがしませんか~?(笑)




全体的にはかなり懐かしかったりする。(笑)破風は30度転ばして厚さは180mm。




外観はレトロなんだけれど、構造は強靭に。強風地域の岩内の風でもびくともしないように柱量と梁量を倍に増やし、合板で補強


夕暮れになるとあまりにきれいな夕焼け。まさに昭和の子供時代。ほんとうに夕焼け小焼けで日が暮れる。

妻よ当時からありがとう!お昼は現場で棟梁たちと。


夜間作業は続く.....




外壁のジョリパット塗装の直前、樹脂モルタルメッシュ入りの左官が終わったところ。


まったく同じ頃、札幌では宮の沢の家が同じような工程を迎えていました。宮の沢は私が育った街です。小学校2年生のときに、隣町の手稲本町から引っ越してきました。当時流行のハウスメーカーの住宅が運よく買えたからです。それからあっという間に40年、しかし大正や昭和初期の建物のような手仕事のよさは既になく、今ではこれまた中途半端な規格住宅に建替えられていたり、各社の個性というか癖が不協和音のように響く街並みになってしまいました。新和風に北米風、北欧風にカナディアン調といったように、まあ住まい手の趣味なのでしょうが何でもありのテーマパークのようでもあります。そんな中すでに子供達が独立した世帯も多く、今となっては「いいところ」ながら活気は薄れ寂しさも漂っていました。そこで岩内とは正反対の提案を思いつきました。今までになかったもの。そう、なになに風というのを徹底的になくして近代的にしたいと思いました。使う色を極力減らす。かたちは極力単純にして、数学的な比例の組み合わせで建物のデザインを考える。工業的な精度の高い印象を与える。歴史的なものには背を向けて原理的で工業的な印象を重視しました。
作風が違いすぎることをずいぶん仲間内から責められもしましたが、今でも同じくらい大切で思い出深い仕事です。でも建築家にとって作風がそんなに大切なのでしょうか?そこのところは5年経っても分かりません。きっとあまり進歩していないんでしょうね。(苦笑)ちなみにこの年は台風が北海道を直撃し苫駒が夏の甲子園を制した想いで深い年でした。