家づくりを通して、クライアントや各分野のスペシャリストが協働することで市民にとって有益な情報公開の場にならないか?特にわが国は衣、食、住の中で圧倒的に住をはじめとする暮らしの分野が弱く、それに対する市民の気付きや本質的価値の理解が不十分なのではないか?そんな状況に答えるためには、市民と、ものづくりの現場を結び、設計者自らが臨場感を交えて解説を行ったり、時には生中継をしたり、見学会や講習会を企画してはどうだろうか?設計者の威厳をことさら強調したり、手柄を独り占めにしたりしないで、たくさんの専門家と実際の住まいづくりを通して、これから家を直したり建てたりする方々の一助になり得ないか?また地域のマスコミのみなさんには、一緒に作り手と建設中からコラボレーションすることで、もっとリアルな分かりやすさと同時に、記事のクオリティーも高めてほしい。「北海道の住宅関連の新聞雑誌はレベルが高いね。」と他県からも引き合いが来るようになってほしい。生産者や施工者のみなさんには、共通の目標のために団結して知恵を出す機会を生かし、皆が知らない地域の技や特色、よい仕事をアピールしてほしい。そしてなによりこのブログをお読みの市民の皆さんが、北海道の特産は海の幸と野菜ばかりではなく、建築もそうだよね!と少しでも感じてくれたらこの試みは大成功だと思います。
それでは、当日会場にお越し願えなかった方々のためにセミナーの内容をダイジェストで報告いたします。
1:現状とコンセプト
北海道の人口は大きく減少傾向にあり、今後もさらに加速する見通しである。主な理由は、出生率の低下と、今後、消費を下支えする30才以下の人口流失が著しい。
一方、温室効果ガスの推移を見ると、過去10年間、大きく人口が減少しているにも関わらず、横ばいの傾向が続き減少は見られていない。
人口の減少、特に都市の周辺からの人口流失は、廃校や町村の合併等を加速させ、余剰のインフラが再利用のあてもなく、野ざらしのまま放置される風景を生み出している。反面、新興住宅街の周辺地域では学校をはじめとするインフラが不足し、地域間格差が拡大の一途をたどっている。
主に、高齢化社会を前提に安全性を目指して推進されてきた家庭エネルギーの電化により、家庭内から燃焼器具は減ったが、発電需要が増え、結果としては温室効果ガスは増大した。業種別、企業別に見ても圧倒的に電力事業者の割合が高く、家庭のエネルギーを今後どう選ぶのか?といったことは、そのまま国家の温室効果ガス削減の可能性と不可分な関係といえる。当然ながら将来を見据えた国民の見識が今問われている。
特に北海道の場合は、民生分野(家庭)から排出されるCO2が非常に多く、全国平均の約1.6倍となっている。原因は半年にも及ぶ冬季の暖房によるものだが、もはや単なる地域性として片付けることが難しいところまで来ているのが実情である。またこうした統計の結果から、残念ながら、1999年より実施が始まった「次世代省エネ基準」が少なくとも北海道においては温室効果ガス削減の点からは不十分なものであったことは否めない。今後、北海道において温室効果ガスの削減を目指すならば、効果的な地域基準の策定と普及に加えて、建築主である市民の協力と理解が欠かせない。
札幌の平均的な戸建てにおけるエネルギー消費量に注目してみると、暖房が全体の50%を超え、給湯も合わせると73%となっている。これを見ても分かるように、今後はこの分野の建物側の設計に大幅な努力が求められる。(なぜなら、このデーターは旧式な設備を有する住宅をもとにしたものではなく、あたらしい住宅も含めたものである。)もはや暖房や給湯機器の高性能化に頼っていては燃費の抜本的改善は難しい現状にあることを、消費者が理解しないと、問題の解決はいっそう困難になる。
北海道は道民一人当たり1ヘクタールの森林を所有していると言われるように、広大な森林資源を有している。しかし主に価格を支配的な要因とする供給、生産、流通体質は地域産業の荒廃を招き、自給率を大きく上回る潜在的生産量を現に有しながら地域資源を活用できていない。グラフを見ても分かるようにトドマツなどは潜在的生産量の1/10程度しか活用されておらず、残りもこのままだと使うこと自体難しくなってしまう。その結果、外来材に対する依存度が増し、石油と同じように生産国の都合や為替に過度に影響されやすい体質を一層進めるばかりか、目の前に立派な山がありながら市場に木材がないといったような、誠に??な社会状況を生み出すことにもなりかねない。
この資料は、高齢者の浴室での死亡率をまとめたものである。色が濃ければ濃いほど死亡率も高くなる。特筆すべきは、北海道や青森県が最も死亡率の低い色グループに入ることである。文中にもあるが、各室の温度管理が行き渡っていることがその理由なのだそうだ。いまひとつは建物における暖房や断熱、換気や気密といった基礎的な事柄を北国だけの特殊条件であるとして、しっかり取り組んでこなかった作り手側の責任も大きい。室内の温熱環境を健康的に保つための暖房や断熱は雪国でのみ必要なローカルチックな設計ノウハウどころか、むしろ北国以外の地域にこそ必要なものであることが統計から読み取れる。高齢化社会は国全体の問題であるはずなのに、住まう地域によって高齢者の生存率が著しく違うというのはいかがなものだろうか?さらに、その原因が部屋ごとの温度差と指摘されているにも関わらずそれを改善できないとしたら、それこそ作り手側の怠慢と取られても仕方がないと思う。余談にはなるが、今回の大震災で、命からがら九死に一生を得て避難所にたどり着いても、室内の寒さが原因で亡くなる方の多いことも、建築に携わる人間ならけして忘れてはならない。想定外の震災といった表現にばかり目を奪われることなく、仮に想定内だったにせよ、停電や燃料不足は十分に予測できるはずである。揺れや津波から人々を守っても寒さから人を守れなければ建物本来の役割を果たしているとはいい難い。この経験を糧に大きく考え方がシフトすることを切に願う。それが亡くなった方々に、作り手として報いることではないかと思う。けして電気や石油のせいにしてしまわぬように、これから建築に携わる方々にお願いしたい。電気や石油がない時代から建物が命を守ることに変わりはないのだから。
たとえば、なにか新たなムーブメントを起こそうとするとき、現在の常識や一般的な思考といったものから一旦離れてみることも大切である。たとえば環境と経済と言った場合、ほとんどの人が図の矢印のように相矛盾するもの。といった思考回路を頭の中に描いてしまうとしたら、その後の話がまったく先に進まない。人の思い込み又は既成概念とは得てしてそういったものである。「環境的にすると非経済的、経済的だと環境的ではない。」といった二者択一の平面的思考ではそもそも解決できないところに今の社会の難しさがあることにむしろ気付くべきである。
ほんとうは、経済的な価値と環境的な価値は矛盾しないのではないか?要はkmとkgのように呼び方は似ていても片や長さ(二次元)。片や重さ(三次元)といったような異なる尺度なのでは?と考えてみる。そうした上で目指すべき価値を空中に浮いた直方体のように考えてみてはいかがだろう?反対側から光を当ててそれぞれの面に落とす影の面積が価値の大きさと考えると、上の図のように環境性と経済性は矛盾ではなくなりはしないだろうか?浮いている直方体の太さをのり巻きのようにどんどん太くしてゆけば、経済性と環境性も両立することが可能なはずである。たとえばこれからの住宅のあり方をこんな風にイメージして地域の力や材料を使いながら世界水準のものづくりを目指すとしたらわくわくしないだろうか?こうした可能性を市民の家作りの選択肢としてもっとたくさんの建築家や家づくりに携わる人が発信し、当の市民も巻き込んで北海道の家づくりがさらに楽しくなったらよいと思う。
次回はいよいよ各部のデザインや性能に関してお伝えします。どうぞお楽しみに!
「南あいの里の家」、「菊水の家」プロジェクトマネージャー 山本亜耕