2013年11月7日木曜日

恵庭の家 地鎮祭

いよいよ、「恵庭の家」が着工いたします。11/4は地鎮祭でした。今年の二月にご相談をいただいたご夫妻は、出身がお二人共に本州とのこと。大学時代を道内で過ごし、卒業後も帰郷せずに職を求めご結婚されたとのこと。最終的に移住を決意された理由は、やはり北海道への熱い想いのようで、お二人とも都会生まれの都会育ちながら、都会ではない北海道のよさが、私などより遥かに見えているなと感じました。敷地も当然ながら恵庭市の郊外で、本来は市街化調整区域ながら田園型住宅地として開発されたところ。敷地内には以前の住人が植えた庭木も残り、緑豊かな環境です。

なんでも当日は、地鎮祭の引き合いが多く、開始は夕方になってしまいましたが、冬の夕焼けがとてもきれいでした。

みんなで拝礼し、式が始まる頃にはどんどん暗くなりはじめ...

宮司さんが、建物の中央に埋める、「鎮めもの」をくれた頃にはすっかり夜になり。

広い敷地の四つ角をお清めして無事終了いたしました。
再び心も新たに頑張ります。みなさんでよい家づくりにしましょう!(笑)
 
ふと最近想うのですが、いつも不思議な出会いから仕事が始まります。
今日はくるりなんていかがでしよう。
 
 
 
 

2013年11月5日火曜日

リプランさんの取材 2013年11月29日号

先日、地元の住宅雑誌リプランさんに「前田の家」を取材していただきました。2013年11月29日号に掲載予定とのこと。ぜひご覧いただければ幸いです。詳しい内容はお楽しみですが、炎のある暮らしについての特集です。もうすぐ寒い季節が来ますね~、以前は家の中から炎をなくすことを考えていた時期もありましたが、最近は30cm断熱した上であえてペレットストーブなんかをよく使います。作り手としていろいろ悩むんですが、やっぱり冬のよさを引き立てるのって炎のある暮らしなのかな~?なんて最近よく考えます。ふと気付くと薪やペレットのストーブの採用がどんどん増えてきました。(笑)

家庭菜園ももうすぐ最後。また来年のお楽しみ! 見事に味わい深く変色した外壁の松板。なんていうんでしょう...このエイジング感? な感じがけっこう最近はまってます。

なんばんも真っ赤。干しておくと極上の一味唐辛子になります。

向かって右は今回の企画担当のSさん。奥さんとなにやら打ち合わせ中。

 
 
 
結局、奥さんや子供たちまで総出演でなかなかに賑やかな取材となりました。(笑) お忙しい中お時間をいただきました建て主さま、そしてSさんをはじめリプランのスタッフのみなさま、この場をお借りして御礼申し上げます。(写真は黒板に夢中になって落書きする子供たち。「前田の家」は玄関正面が壁一面の黒板になっていて家族全員で黒板を楽しんでいます。これは面白いのでぜひお勧め!家で親も子供も、精一杯落書きできるなんていいと思いません?/笑)
 
今日はQueenなんていかが 「Teo Torriatte」 くう~っ! 美しい~っ!フレディーっ!(笑)
 


2013年11月4日月曜日

西の里山の家 木製サッシ工事

前回も書きましたが「西野里山の家」の特徴の一つに、超高性能国産サッシの採用があります。従来の倍にも及ぶ高い断熱性能は冬のみならず夏の涼しさにもたいへん効果があります。もはや「断熱」という知恵は北国の単なる冬対策ではなく、その地域ごとのアレンジを加えると、場所を問わない建築の要件といってよいと思います。また3.11以降特に暮らしとエネルギーの関わりに関心が高まったことや、最近では地域経済学的な視点から、エネルギーを必要以上に使わないことは単なる家計の節約のみならず、製造業の競争力を高め、小さなまちの発展にさえ欠かせないことが明かになって来ました。考えてみればその通りなのですが、自らの工夫でエネルギーを作り出すことと同じくらい、使わなくて済むことは大切です。ほんの少ししか必要ないのなら、多少不安定な自然エネルギーでも不便は少ないでしょうし、太陽光パネルや、風力発電、燃料電池の容量さえも小さなもので足りるようになります。要は必用な設備の規模を圧縮することは建設時のコストを下げますし、結果として競争力の高いものづくりにつながります。小さなまちだって、エネルギーを自給できるようになれば生き残ることができるようになります。

硝子を入れた後、周りをシールするための下準備を行うガラス屋さん。

規格品のサッシとは異なり、ガラスは枠を取り付けた後に入れる。気密が十分に出るように飯田ウッドワークシステム㈱では、ガスケットを用いずに直接シーリングを打って、硝子と枠の間の気密を取る。

バックアップ材を入れているところ。

南側の巨大な開口部。

小さな硝子は国産のものだが、大判のものは、ハンガリー製。省エネ意識がEUに対してまだ低い日本では、大判のトリプルガラスは高価。国内での競争力強化と今後アジアでの積極的展開を狙う同社では、この問題に取り組み新たなガラス供給の商流も開拓している。こうしたところは新世代の窓メーカーとして木製サッシメーカーひしめく道内でも際立っている。従業員数10名程度の小さな地域のメーカーながら、世界を見据えた戦略をもち開発する製品はワールドレベル。私も見習いたいと思います。 
南側に開く大開口部。
 
 
大判の硝子は、ハンガリーのジュリッヒ社製。

写真はガラスメーカーのジュリッヒ社のHP


飯田ウッドワークシステム㈱では、サッシの性能認定を国内規格のJISではなく、ドイツのパッシブハウス研究所の認定であるPHIを最初に取得している。ドイツの誇る、省エネ住宅の世界的なブランドである「パッシブハウス」は用いる各マテリアルが同研究所の試験をパスした認定品であることが求められる等、たいへん厳しい仕様で知られるが同社のサッシはその中でも最も高いランクとされるAランク(PHI-A)を取得しており、U値は最新の国産に多い1.3W/㎡kを大きく凌ぐ0.79W/㎡kというもの。こうなると一昔前の10cmのグラスウールとあまり変わらない。この窓を使えば年間に必要な暖房エネルギーの3割以上を日射でまかなうことが難しくなくなるし、窓の面積を増やして北海道らしからぬ、明るく開放的な家にすることもできる。
 

2013年10月26日土曜日

西野里山の家 サッシ搬入

リビングに取り付く大型の引き戸。今回の断熱サッシ担当は飯田ウッドワークシステムさん。久々の登場です。今回は同社が世界戦略用に開発し、ドイツのパッシブハウス研究所の認定をもらったトップグレードのサッシを使います。

こちらは小型の窓ですが、硝子はトリプル硝子、二枚のLOW-E硝子+フロート硝子一枚。ガス層は二つとも16mmのアルゴンガス層。スペーサーは特殊な樹脂製です。国内でこのタイプの硝子を作るとたいへん高価なので、同社ではいろいろと商流を含め工夫をしたそうです。

こちらは外貼り断熱の様子。丁寧に皺を入れずに、無理に押し込まずにグラスウールを入れてゆきます。一見、神経質に聞こえますがグラスウールをはじめ綿状の断熱材は無理に押し込むとすぐに性能が2~3割りも落ち込んでしまいます。

窓の上の庇の様子。補強プレートを入れて薄く跳ね出します。

 

屋根と壁の冷境部分にウレタンを充填して補強します。
 
先日E.W&ファイヤーの特集をやっていて無性に聞きたくなりました。
 

2013年10月23日水曜日

西野里山の家 構造検査前夜

 
日がずいぶん短くなりました。「西野里山の家」の現場では構造金物が全て取り付き明日の民間保険機関の第三者検査を受ける準備が整いました。現場ではM主任が最後まで残って後片付けと最終確認に当たってくれていました。このブログをお読みの方は既にお気付きだと存じますが、現代の住宅の現場は非常に多くの役割を担った人たちで運営されています。今の時代にはめずらしい完全アナログなものづくりの世界ですが、不思議なことにこの方がものがよく分かるのです。リアルな世界ってやっぱり大切です。(笑)
 
今日はパフィュームでも http://www.youtube.com/watch?v=Qa68G3Fjc9s

2013年10月22日火曜日

西野里山の家 断熱下地工事

昨日から本格的に始まった断熱工事。今日は外貼り部分を中心に見てゆきます。まず写真はパイプファンのケーシング部分。予め位置決めをし、ガスケットやテーピングでしっかり気密処理してゆきます。

下屋の屋根の部分。白のタイベックが通気垂木の下に連続しているところを確認。もし通気層に水が入ると屋根の勾配を流れ、再び壁の通気層を流れて地面に排水される仕組みタイベックが一筆書きのようにシンプルに連続していることが大切です。ちなみにタイベックは防水紙とは違いますが、水蒸気を通す反面、水は通しません。

壁の付加断熱の垂木組み。ここに14cmのグラスウールを入れます。

窓下の一段下げられた断熱下地。ここは水切りと絡むために少しだけ下げておく必用があります。

日射遮蔽の庇を支持する鋼板。これで薄く美しく庇を跳ね出すことが可能になる。

機械換気とパッシブ換気の排気口。

外から見ると現在はこんな感じです。

2013年10月19日土曜日

西野里山の家 上棟式

 
 
 
 
 
 
 
 


 

本日は、ほんとうに見事な秋晴れ!まさに上棟日和ですね~(笑)。建て主さんと現場のみなさんの日頃の行いが良いおかげで、東北出張中も雨や風の影響も受けず見事に本日の日にこぎ着けました。この場をお借りして心よりお喜び申し上げます。
 
地元の西野神社の宮司さんをお手伝いしながら。二階の建物の四隅に隈餅を飾ります。

東に向けた祭壇と衣冠束帯に身を包んだ宮司さんの声が朗々と響きます。

建物の四隅をお清め。

隣町から駆けつけたご両親も参列して心のこもった式になりました。特に建て主さんのお父さまは建設関係ということであちこちに興味津々の様子。建物構造の特徴や屋根、壁の断熱や換気の考え方等々いろいろとお話しをさせていただきました。おまけにお祝いまでいただいて、身に余る光栄、また週明けから精一杯頑張ります。式の後は薪ストーブの展示場へ、なんだかまた炎の恋しい季節がすぐに始まります。今度から家の暖房は薪ストーブを主力にしようかな?(笑)
 
今日はくるりなんていかが? http://www.youtube.com/watch?v=CLfGQFvH2xI


発寒の家 外構工事

ガーデンジャパンの小坂さんと取り組んできた「発寒の家」の外構工事が完了しました。日当たりの良い家の前の南側スペースをどんな風にしようかといろいろ迷いました。デザインの定石から行くとコンクリートのスラブでピシッと!なんてありがちですが、最近大切にしているのは馴染むことで味わいを増す材料。建物を見てもお分かりいただけると思いますが木材は雨掛かりは日の光により美しい灰白色にそれ以外だと赤くあめ色に変化します。この変化がしょぼくれて行くのか、味として喜ばれるのか?そんなことを最近よく考えます。小坂さんの使う枕木はユーカリ材の貴重なものですが、耐久性も高く、一年で美しいグレーに色変わりし、周囲に馴染みます。同じくよく彼女が使う札幌軟石も表情は控えめながらけして不協和音にならない優れた素材です。むしろできたてが一番違和感があるのかもしれません。来年がとても楽しみです。

東側には一部黒土を入れて植栽のスペースを確保しました。

枕木を透かして敷いてその間に化粧砕石を入れ込んでいます。今後少しづつ下がるので随時足すことで砂利と枕木の高さを簡単に調整できます。

ポーチに置かれた鉢植え。ポーチをコンクリートで作り付けてしまわないのは、現在の建物の教訓を大切にしているからです。高齢化してくるとなんでもなかった階段がどんどん辛くなります。そんな時、壊すことがたいへんな作りは困りますよね~。そこで将来的に発生するであろうスロープのニーズに簡単に対応できるようにポーチを撤去可能に簡便に作ることが最近多くなりました。

裏の隣地との高低差を考え雨水が溢れ出さぬよう縁石を入れています。隣地が同じ高さでも新築すると僅かにこちらが高くなることが多いですからこうした配慮も必要になります。

階段横には札幌軟石の花台を置いて夏場の鉢植えが並べられるようにしています。この軟石もすぐに柔らかく苔むして周囲に馴染んでゆきます。
 
最近思うのは、時間の経過に対する可変性や環境に優しい素材で作る建物周囲のデザインです。一時期はアスファルトとかコンクリート素材なんかを多く使っていましたが最近は極力今までとは反対の材料を使うことにしています。クライアントさんの中にも家庭菜園や庭いじりが好きな人が増えてきました。とても嬉しく思っています。
 
今日は手島葵なんていかが?コクリコ坂より

2013年10月17日木曜日

被災地を巡って

10/14~10/16まで講演会のために東北に行ってきました。3.11の大震災から早くも2年半が過ぎようとしていますが、今もって被災地の現実は中々に複雑なものがあります。復興に向けて機関車のごとく邁進する町もあれば、流された市街地は無残にススキに覆われ、残された基礎だけがかつてここに町があったことを物語っているところもあります。そんな中、震災の経験を生かしこれからつくる家は少しでも良い家をとの想いでお招きいただいた皆さんにこの場をお借りして心より御礼申し上げます。

岐阜を拠点に研究者と設計者という一人二役をこなす辻先生のお話し。もとは工学系出身ではなく芸術大出身という、異色のキャラクターながら自ら設計した建物を計測し科学する姿勢に共感いたしました。

連日の激務と折からの台風にも関わらず会場にはたくさんの皆さんに来ていただきました。



続々と復興団地が出来上がってゆきます。

写真は復興のために全国から集まる人たちが宿泊する仮設ホテル。このホテルは約500名が利用しているとのこと。長い人では1年以上。ほぼ住んでいる状態の人もいるとのことでした。

居住棟の間には絆、.復興の文字が並ぶ。

朝のラッシュが想像できる改札口?

津波で押し流され無残にも横倒しになった建物が寂しく当事のまま放置されています。それにしても津波の力とは想像を絶するものだったのだと思います。

女性職員が最後まで避難を呼びかけ続け、14mを超える津波により命を落とした南三陸町防災対策庁舎。周りは全て流され寂しそうに建っています。

 
この荒涼とした喪失感は現地でしか味わえないものでしょう。重たい問いを突きつけられているように感じました。「あなたはこの現実からなにを学びますか?明日にどう生かしますか?」建築の作り手として主人を守れなかった建物を見るのは辛いものです。

 
供えられたたくさんのお花と手を合わせる人たち。
 

 
夜聞いた、居酒屋の女将さんのお話しは一生忘れないでしょう。「店であれこれ探しているうちに津波がやってくるのが見えて、ロフトに駆けあがったの。窓から見ると幼馴染の隣の奥さんがまだ外にいるのが見えて、大声で呼んだら気がついて走ってきた。その人の旦那さんは大丈夫だって言ったきり流されて、とても現実だなんて思えなかった。家は木造だったから浮かんでずいぶん離れたところまで流されて助かりました。でも避難所は寒くて寒くて、毛布を一枚もらったけど床のコンクリートの寒さが骨身に染みて三日間ほとんど眠れなかった。...近所の知り合いは20人以上亡くなったけど、私たちは運がよかった。店が借りられたし働けたから、今ではこうやって笑って話せるようになったんですよ。あらあら、あんまり神妙な顔しないで~(笑)。」  女将さんが強く誇らしく輝いて見えました。